山栗日記

日々のできごと、随想、旧暦の観察記録

『クリスチャン・ボルタンスキーーLifetime』で歴史や記憶の重みを感じる

展示作品

梅雨が明けない

外遊びができなくて鬱屈していても仕方がないので、“文化の梅雨”と開き直り、気になっていた「クリスチャン・ボルタンスキー―Lifetime」を鑑賞しに六本木まで行ってきた

越後妻有の大地の芸術祭で、時間切れでボルタンスキー作品にたどり着けず残念だったので、東京で回顧展が開催されると知り、行きたかったのだ

 

ボルタンスキー氏の作品は、ユダヤや戦争が根底にあり、重い

日本(日本人)との違いが印象的だった

大回顧展と銘打つ割には作品数が少なく感じたが、これくらいの作品数でないと重みに耐えかねるのかもしれない

 

展示室外の1階にあるカフェテリアの脇で、ボルタンスキー氏のインタビュー映像が放映されていたのだが、これは必見

私のようにボルタンスキー氏をよく知らない人には、氏の作品を理解する一助になる

 

展示作品にキャプションがついておらず、作品の切れ目が分かりづらいのだが、展示会をひとつの作品のように見せると言うのを聞いて、納得した

展示会全体がひとつのインスタレーションになっており、それはボルタンスキー氏自身が展示会の構成を考え、美術館に来て監修しているからできること

それを知ると、この展示会の貴重さがわかる

 

また、配布される展示解説をボルタンスキー氏自身が書いているとのことで、作品に対する作者の考えが知れるのが、今回の展示のよさか

 

だけれども、トリエンナーレのその場で観る楽しさを知っていると、やっぱり現地で観たいなと思ってしまう

今年は瀬戸内国際芸術祭が開催される年

行けるなら行きたい、行けるなら