山栗日記

日々のできごと、随想、旧暦の観察記録

子に使わないようにしている言葉

おやつ

子に使わないようにしている言葉

 

女の子だから 男の子だから

人って、どの時点で性別による好みが分かれていくんだろうかと前から疑問に思っている

例えば、

女の子だとキラキラしたものが好き

男の子だと乗り物が好き

というような、男女による好みの傾向があるように感じているのだけど、

それって、大人がすり込んでいるからなのか、性別が違う時点で決まっていることなのか

どっち?

こちらから意識させないと、どういう好みになるんだろうか

 

女の子だから○○が好きなるよう とか

男の子だから××が好きになるよう とか

こちらが押しつけることのないよう、子が感じるままに好きなものを見つけていってほしい

 

好み以外でも、今の世には女のやること・男のやることというように、性別で固定化されている物事はたくさんあるけど、この子たちが大人になる頃には、そういう垣根が取り払われていてほしい

性別で抑制することがないようになってほしい

 

ただ、どうしても性別によって気をつけなければならないこと(性犯罪とか)があるのは事実で、そういうことはしっかり教える必要はあるだろう

 

いい子

いい子にしててね とか

いい子にしてたね

の“いい子”って、何?

 

泣かずにおとなしくしている状態?

 

大概は、泣かずにおとなしくしていたり、社会性のある状態でいてねとお願いしたり、いたことを褒めたりする言葉なのだと思う

 

だけど、それって“いい”こと・状態なのだろうか?

 

まだ言葉を知らないあかちゃんにとって、泣くことは唯一のコミュニケーション手段だ

しかも、彼らは自分で自分の身を守ることがまだできないし、欲求を満たすことができない

社会性も身についていない

そんなあかちゃんが、大人にとって都合のいい状態でいてくれたら“いい子”で、裏を返せば、都合の悪い状態でいたら“悪い子”というのは、違うんじゃないだろうか

 

もっとも、忙しいときにぐずぐず泣かれると困るし疲弊するのは事実なんだけど

 

 

今のところは、このふたつ

これらの言葉は、私が気にしているだけで、夫や父母は使うし、これから外に出ていけば色々な人から言われるだろう

それでも、子にとって一番身近な私が使わないようにすることで、子がのびのびと自由に育ってくれたらと思う

 

ここまで考えて、子の個性を形成するのに自分が大きく関与することに気づく

気が引き締まる思い

 

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コーヒーを飲みつつ、おやつをつまみつつ
こういうことを考えたいけれど、
そんな時間はブレイクタイムは
まずとれず
写真は願望です